インプロと「準備」について

先日ピーターブルックの映画『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』を見て、禅とインプロについての理解が深まったように思った。なのでたまにはインプロのことについて書いておこう。(準備についてと時間についてを書こうと思ったけれど、準備について書いていたら長くなってしまったので時間についてはまた今度。)

ピーターの映画で印象に残った場面に、20まで数えるワークがある。参加者が円になって、誰かが1とカウントし、別の誰かが2とカウントし、カウントのタイミングが他の人と被ったら1に戻るというシンプルなワークである。

ピーターはこのワークの前にマインドを共有するという話をし、カウントを始める前にその準備が必要であることを強調していた。そしてその準備ができていないと見たときにはワークを止めて、準備をしてからカウントするように指示していた。

マインドを共有するということは必ずしも科学的に正しい表現とは言えないだろう。しかし、たしかにその準備ができていないときはその場の何かが共有されていないように見えたし、その準備ができているときはその場の何かが共有されているように見えた。そして何よりその瞬間は美しく見えた。

僕の言葉ではこのような状態は「調和」と表現される。それはまず第一に自己との調和であり、第二に空間を含めた他者との調和である。自分の心が落ち着いていて、ひとつの方向に流れているときに調和は達成される。

さて、では自分がインプロをしているときに調和は達成されていたかというと、それは疑わしいように思う。そもそも、その方向に向かっていたかどうかすら疑わしいように思う。

キースのインプロでは「準備しない(Don’t be prepared)」ということが言われるが、これまでの自分はその言葉の理解を曖昧にしたままだったように思う。「先の事が分からない恐怖に囚われて、それが分かるまで行動しない」という意味ではたしかに準備をしない方がいいだろう。しかし、調和という意味では準備をした方がいいし、そのためには時間を取ることが必要になることもあるだろう。

これまでの自分を振り返ってみると、インプロをするときにあえて自分を追い込もうとしていたように思う(ストーリー内の話ではなく、役者として)。特に僕のように安定感がうたわれるタイプのプレイヤーはそれが必要だと考えていたように思う。そしてそれがリスクを上げている、という風に捉えている自分がいたように思う。

しかし実際このような意味で「準備しない」状態で舞台に立てば、自己とも他者とも調和しないアイデアが飛び出し、結局はシーンとして成り立たないという結果が生まれるだけになる。

これはこれで人が調和していない状態ではシーンも調和しないという真実を示しているけれど(だから良い悪いという話ではない)、これは僕が示したい真実ではないし、お客さんは笑っても興味を持って見ることはしないだろう。

即興だからという理由であえて自分を追い込む必要はないし、これはリスクを上げているように見せて、実は「追い込まれていたからシーンはどうなってもオッケー」という言い訳になっていたのではないかと思う(これはさしすせそ禁止ゲームのようにルールの厳しいゲームほどリスクが低くなるという構造に近い)。

本当は即興だからこそ普通である必要があるし、何かを課さずに自分が相手とやりたいシーンをただやろうとすればいい。そしてそれこそが言い訳のできない一番のリスクテイクになっていると僕は思う。

1985年横浜生まれ。東京学芸大学に在学中、高尾隆研究室インプロゼミにてインプロ(即興演劇)を学ぶ。大学卒業後は100を超えるインプロ公演に出演するほか、全国各地において300回を超えるワークショップを開催している。2017年にはアメリカのサンフランシスコにあるインプロシアターBATSにてワークショップおよびショーケースに参加。またアメリカのインプロの本場であるシカゴにも行き、海外のインプロ文化にも触れる。 →Twitter