分からないからやらないのではなく、分からないからやってみる。

インプロをやっている人に「あなたはゲームとシーン、どちらをどれくらいやりたいですか?」と尋ねたら、おそらくほとんどの人は「シーンをたくさんやりたい」と答えると思う。しかし、「あなたはゲームとシーン、どちらをどれくらいやっていますか?」と尋ねたら、おそらくシーンの比率はぐっと下がって、実際はゲーム(およびゲーム的なシーン)をやっている時間の方が長いという人もかなり出てくるように思う。

このような現象が起きる理由は、やっぱり失敗に対する恐怖なのだろうと思う。

シーンの失敗は、本当にどうしていいのか分からなくなる時がある。だから、失敗しても安心な(むしろ失敗することが前提となっているような)ゲームをやってしまうという状態なのだと思う。

インプロでシーンをやるためには、失敗に対する認識を本当に変える必要があるのだと思う。

「本当にどうしていいのか分からなくなる時がある」からやらないのではなく、「本当にどうしていいのか分からなくなる時がある」からこそやる。

すでに分かっていることをやっても探究にはならない。分からないことを分かろうとするからこそ、そこには探究の可能性がある。失敗を避けるべきものとして捉えるのではなく、失敗を探究の機会として捉える。

そうすれば分からないことを発見するためにシーンをすることができるし、それで失敗してもそんなに落ち込まずに済むし、なんとなく流さずにも済む。

そして「なぜ失敗したのだろう?」と探究心を持ってふりかえることができれば、インプロは自然とうまくなっていく。

とはいえ、失敗に対する認識を変えることは身体的な学びだから、頭で理解してもすぐにできることではない。少しずつ少しずつ進んでいけばいい。その途中でもし苦しくなってしまったら、その時はただ楽しいだけのゲームでもいいから、それをして遊び心を思い出せばいい。遊び心と探究心は別のものではなく、むしろ遊び心こそ探究心の土台になっているのだから。

失敗について学ぶということは、学び方について学ぶということだと言える。だから何をしているのかよく分からなくなる時もある。でもさっきも書いたように、よく分からなくなる時があるからこそ探究しがいがあるのだと思う。

1985年横浜生まれ。東京学芸大学に在学中、高尾隆研究室インプロゼミにてインプロ(即興演劇)を学ぶ。大学卒業後は100を超えるインプロ公演に出演するほか、全国各地において300回を超えるワークショップを開催している。2017年にはアメリカのサンフランシスコにあるインプロシアターBATSにてワークショップおよびショーケースに参加。またアメリカのインプロの本場であるシカゴにも行き、海外のインプロ文化にも触れる。 →Twitter