舞台の上でハッピーであること

「キースのインプロは誤解されている」ということについて、これまで僕は他人事だと思っていたけれど、最近になって自分もかなりキースのインプロを誤解していたことに気づいた。そのひとつの話。

『キース・ジョンストンのインプロ』に、次の一節がある。

あるインプロバイザーは、ステージの上で一度もハッピーになったことがありません。本当にそうです。彼らは興奮するためにインプロをやってます。あるいは、人から注目を浴びるためにインプロをやってます。自分の面白さ、賢さを見せびらかすためにインプロをやってます。でも、ステージの上でハッピーになったことは一度もありません。身体の中に恐怖を感じています。(p.33-p.34)

「興奮」という言葉は強烈だし、「人から注目を浴びるため」「自分の面白さ、賢さを見せびらかすため」という言葉もまた強烈なので、「自分はソウジャナイナーヾノ’∀’o)イェイェ」と何気なくスルーしてしまえそうだけど、では自分がステージの上で「ハッピー」になっているかというと、それはかなり疑わしいと思った。

もちろんインプロは楽しいからやっているわけで、ステージの上で喜んでいる時もこれまでたくさんあった。けれど、自分がどのような場面で喜んでいたかを振り返ると、その多くは「シーンがうまくいった」時に喜んでいたように思う。

そしてそれは「ハッピー」ではなく「興奮」に過ぎないと気づいた。 これは禅の話のようになるが、ハッピーとは目的を達成して得るものではなくて、その瞬間にあるものに気づくことだからだ。

りなちゃんがカナダでキースのワークショップから帰ってきたときに、ルースムースシアターのショーについて次のように話していたのは今でも印象に残っている。

クソシーンでも役者が楽しんでるから終わらせ方がポジティブだった!だからショー全体としてもめっちゃ満足いくってことが分かった。自分たちもこんな風にやりたーいって思った。(中略)なんかさー、インプロのショーを見る時ってどっかしらなんか苦しいときがあったんだよね(笑)全体的にはいいけどあの時なんか……みたいな。だけどこれは全部、全部面白かった。(キース・ジョンストンのワークショップの感想を聞いてみました Vol.1)

僕はクソシーン耐性(クソシーンでも受け入れられる度量。僕の造語。)が低いので、クソシーンだと思うと生真面目に「どうにかしなければ」と思ってしまう傾向がある。でも、それはそれとして遊ぶこと(Play)ができれば、インプロはもっとハッピーなものになると思う。

そしてそのようなインプロはショーとしても素晴らしいものになるだろうと思っている。ハッピーな瞬間には「演技が上手い」とか「ストーリーがよくできている」とかいうことを全て吹っ飛ばす力があることを、僕はこれまで何度か目の当たりにしてきた。

もちろんインプロが即興「演劇」として成立するためには演技やストーリーは必要だろう。けれど、それ自体を目的にしてしまうと「(技術的に)すごいもの」で終わってしまうだろうと思っている。

ハッピーな時間を目指すということは、何かを手に入れるということよりも、何かを手放すことに近い。だから学ぶことも教えることも難しい。けれど、僕はその難しさを探求することに面白さを感じているし、その先にある美しさを見たいと思っている。

1985年横浜生まれ。東京学芸大学に在学中、高尾隆研究室インプロゼミにてインプロ(即興演劇)を学ぶ。大学卒業後は100を超えるインプロ公演に出演するほか、全国各地において300回を超えるワークショップを開催している。2017年にはアメリカのサンフランシスコにあるインプロシアターBATSにてワークショップおよびショーケースに参加。またアメリカのインプロの本場であるシカゴにも行き、海外のインプロ文化にも触れる。 →Twitter