ワークショップにおける「タノシカッタふりかえり」問題

僕はインプロに限らずワークショップのふりかえりというものに違和感を感じることが多いのだけど、違和感を感じるふりかえりのひとつに「タノシカッタふりかえり(もちろん僕の造語)」がある。これは参加者から出てくる言葉が「楽しかった」ばかりになるふりかえりのことである。これは興味深い現象だと思うので、インプロのふりかえりを題材にちょっと考察をしてみたい。

なぜ「楽しかった」ばかりになるのか?

まず、その時やったインプロが本当に楽しくて「いやー楽しかったー。すげー楽しかったー。」としか言えない場合は僕は違和感を感じないし、それはそれでいいと思う。

僕が違和感を感じるのは、「いや実際そんなに楽しそうに見えなかったよ」という場面に対しても「楽しかった」が出る時だ。

なぜそうなるのかというと、これは単純に「楽しくなかった」とは言えない、という配慮からだろう。また、楽しいかどうかは主観なので、「私はこれが楽しかったんだもん!」と言えば反論のしようがなく使いやすいワードだというのもあるだろう。

インプロは楽しくなければいけないのか?

しかし、そもそもなぜこのような配慮をするのかというと、そこには「インプロは楽しくなければいけない」という信念があるからだと思う。

もちろん僕も楽しいインプロをできた方がいいとは思っているけれど、実際問題としては楽しい時もあれば楽しくない時もある。そしてそうなることについては許すしかないと思っている。

楽しくないインプロを許さないと、「楽しくなければいけないインプロ」をすることになり、その時点でもうだいぶ楽しくなくなってしまう。そして楽しくなくなった自分を許せないためにより楽しくなくなる、というネガティブ・スパイラルに陥ってしまう。(もしくは別方向として、それなりに楽しくなるゲームばかりやってしまう、ということもあるだろう。)

『キース・ジョンストンのインプロ』でキースは「うまくいかなかったら、笑っちゃってください」と何度も言っているけど、楽しくなくても「うわー、楽しくなかったー。はっはっは。」と笑えたら素敵だなと僕は思っている。

インプロをやっている時には楽しい時もあるし、楽しくない時もある。けれど、その全てが許されていて、さらに言えば祝福されているような場所を僕は作りたいと思っている。

どうしたら楽しくなるか ―― What Comes Next?

では楽しくなかったときは「楽しくなかった」と言えばいいのかというと、「タノシカッタ」と言うよりはずっといいけれど、僕はそれだけでは半分だと思っている。

楽しくないものは楽しくないのは真実だ。でも同時により楽しくしたいと思っているのも真実だろう。だから次にどうしたら楽しくなるかを考えるのがもう半分だと思っている。

次にどうしたら楽しくなるかについては、はっきり言って永遠に答えはない。けれど、自分に誠実であれば「なんとなくこうしたらいいんじゃない?」というアイデアはだいたいあるし、なければ「とりあえずもう一回やってみよう」というのもアイデアだ。

で、楽しくなるだろうと思ってやってみても、楽しくならないこともある。そうしたらまた「うわー、楽しくならなかったー。はっはっは。」と笑っちゃえばいい。

そういう前向きな姿勢はそれだけで場を楽しくするし、そういう風にあること自体がインプロをするということなのだと今の僕は思っている。

1985年横浜生まれ。東京学芸大学に在学中、高尾隆研究室インプロゼミにてインプロ(即興演劇)を学ぶ。大学卒業後は100を超えるインプロ公演に出演するほか、全国各地において300回を超えるワークショップを開催している。2017年にはアメリカのサンフランシスコにあるインプロシアターBATSにてワークショップおよびショーケースに参加。またアメリカのインプロの本場であるシカゴにも行き、海外のインプロ文化にも触れる。 →Twitter