変化することは大変なこと

第三インプロ研究室のワークショップをオープンにしてから初心者にインプロを教えることが増えた。その中で最近は「変化することは大変なこと」というある種当たり前のことを改めて実感している。

僕は演劇は関係の芸術だと思っている。出会い、関わり、そして変化する。このうち出会うことは簡単で、ただ舞台に立てば出会うことはできる(「それは本当に出会っているのか」みたいな議論はここでは置いておこう)。しかし関わることになると難しくなり、関わっているフリになることが出てくる。ただしこれは逆に言えば関わるフリをすることはできるわけで、変化することになるとフリすらできないことが出てくる。

日常生活で人は人と出会ったり関わったりしている(関わっているフリも含めて)。しかし、変化することに対しては人はできるだけ変化しないようにしているし、変化させないようにしている。それは普通の生活をするためにはむしろ好ましいことだろう。

だから人は変化することが難しいのは当然なのだけど、変化することが不自然なのかというとそうでもないところが面白い。赤ちゃんは目まぐるしく変化しているように、人は本来変化するものなのだと思う。そして変化しない姿は学習された結果なのだと思う。

赤ちゃんはなされるがままに変化するけれど、人はいつのまにかそのように変化しなくなっていく。そこには「相手に負けたくない」「相手の言いなりになりたくない」「相手に影響されたくない」といった信念がある。だからどこかで勝とうとしてしまうし、抵抗してしまうし、無反応になってしまう。

変化できるようになることは新しいことを学ぶというよりも、自然体を取り戻すこと。しかし、だからといってこういった信念に気づくだけでは十分ではない。やっぱり実際に負けること、言いなりになること、影響されることを何度も体験する必要がある。

そして舞台の上は変化することを体験するのにちょうどいい。なぜなら舞台の上では変化する人のほうが自然で、変化しない人のほうが不自然に見えるから。これは言い換えれば変化することが許されている場所だから。舞台の上なら殺したり殺されたりすることも遊びとしてできる。舞台の上は怖い場所だけど、同時に自由な場所。

変化することを遊んでいるうちに、だんだんと自然に変化できるようになっていく。そしてそれは魅力的な役者になるためには必要なことだし、もっと大きく言えば魅力的な人になることにも繋がっていくと思う。世の中には何を言われても自分のスタンスを変えない人がいる(そしてそういう人はすぐに戦おうとする)けれど、僕はそういう人はあまり魅力的に思えない。それよりも相手に応じて自分を変えられる人のほうが魅力的に思えるし、そういう人こそが相手に貢献できる人なのだと思う。

愛とは相手のために自分を変えられること。それは不合理だけど、だからこそ美しい。

1985年横浜生まれ。東京学芸大学に在学中、高尾隆研究室インプロゼミにてインプロ(即興演劇)を学ぶ。大学卒業後は100を超えるインプロ公演に出演するほか、全国各地において300回を超えるワークショップを開催している。2017年にはアメリカのサンフランシスコにあるインプロシアターBATSにてワークショップおよびショーケースに参加。またアメリカのインプロの本場であるシカゴにも行き、海外のインプロ文化にも触れる。 →Twitter