学ぼうとするとかえって学べなくなる。いいものを作っていく中で全て学ぶことができる。

最近インプロのワークショップをするときは、ものづくりのワークショップのような健全さでやりたいと思っている。

インプロのワークショップは「自分を見つめる」といったコンセプトによって、ややもすると内向き後ろ向きになりやすい。「自分がインプロをできないのは家族との関係に問題があったからだ」といった「気づき」によって何かを学んだような気にはなるけれど、僕はそれはあまり意味がないことだと思っている。それは「できない理由」にはなるけれど、「できる理由」にはならない。

ものづくりのワークショップはその点すごく外向き前向きである。「自分はどうしていいものが作れないんだろう」と自分を探ったっていいものは作れるようにはならない。それよりも作品に向かって手を動かした方が(途中たくさん失敗しながらも)いいものは作れるし、その結果これまでの自分の枠組みに気づくことができる。そしてその気づきは気づくと同時に手放すことができる軽いものである。

自分探しをするのではなく、何かをするための自分の使い方を探す。自分の使い方を見つけた結果それまでの自分について気づくこともあるけれど、それはあくまでも結果であって、それ自体を目的にすると重くなってしまう。

そういう風に考えるようになってから、僕はインプロのワークショップをするのがかなり気楽になった。人に何かを気づかせようとするとどうしても重くなる。そうではなく、今ここにある現実をただ良くしようとすればいい。

悪いところを探すのではなく、良いところを探すのでもなく、ただ良いものにしていく。「褒めよう」とするのはあまり誠実な態度ではないと思うし、「気づかせよう」とするのもやっぱり誠実な態度ではないと思う。でも、ただ一緒にいいものを作っていこうとすれば誠実になれる。その結果何に気づくのか、もしくは気づかないかは相手の自由だ。

ワークショップはもともと「工房」という意味だったけれど、今では学びの場所という意味合いが強くなっているように思う。学びにフォーカスした方が学べるような気はするけれど、僕は案外そうでもないんじゃないかと思っている。学ぼうとするとかえって学べなくなる。いいものを作っていく中で全て学ぶことができる。

1985年横浜生まれ。東京学芸大学に在学中、高尾隆研究室インプロゼミにてインプロ(即興演劇)を学ぶ。大学卒業後は100を超えるインプロ公演に出演するほか、全国各地において300回を超えるワークショップを開催している。2017年にはアメリカのサンフランシスコにあるインプロシアターBATSにてワークショップおよびショーケースに参加。またアメリカのインプロの本場であるシカゴにも行き、海外のインプロ文化にも触れる。 →Twitter